「終活を始める」
と言うとき、あなたは何をするつもりでいるのでしょうか。
- 家の片付け(生前整理)ですか?
- エンディングノートを書きますか?
- 第二の人生にやりたいことのリストを書くのでしょうか?
- 遺産相続のための計画を立てますか?
- 樹木葬にするか、宇宙葬にするか検討するのでしょうか?
こうしてみると、終活には、一言では説明しきれないほどたくさんの「要素」が詰まっていることがわかりますね。
おそらく、あなたが頭に思い浮かべる終活と、他の誰かがイメージする終活は同じではありません。
あなたが今考えている終活と、10年後にあなたが考える終活も同じではありません。
たとえ終活の同じジャンルについて話していても、人それぞれ、頭の中に思い浮かべる終活のプランはずいぶん違っているでしょう。
「終活」が意味するものはひとつだけではないのです。
ジャンルの異なるさまざまな種類の活動が、終活というひとつの言葉の中に含まれています。
そう考えると、終活の中にはとても広い世界が広がっているように思えませんか?
しかしその一方で、終活の活動はすべて、人の死につながっています。
終活は、広くて狭い世界の中に存在しているのです。
終活をする人が減っている?
実は、終活に関する活動をする人が減ってきていると言われています。
あれほど大ブームを巻き起こした終活が、もう終わりを迎えているというのでしょうか?
「終活」の登場は、2009年。2010年の流行語大賞に選ばれたあと、日本に終活ブームが巻き起こりました。
テレビ番組や週刊誌での特集、終活本など、終活のためのサービスが次々と登場し、たくさんの人が終活を始めました。
さまざまなメディアで終活に関する情報が紹介され、終活という考え方があらゆる世代に浸透していったかに思えました。
しかし近年、終活に関する活動をする人が減ってきているのではないかと考えられているのです。
その根拠となるのは、「終活に関する意識調査」です。
株式会社ハルメクホールディングスが2021年、60~74歳の男女を対象に行った「終活に関する意識調査」によると、「終活をすでに始めている」人の割合は全体の38.3%、「終活は必要だと思う」人の割合は、全体の79.0%でした。
この結果を、2018年に行った調査と比較してみると、「終活をすでに始めている」人の割合は0.6%減、「終活は必要だと思う」人の割合は2.1%減っていたのです。
この結果には、コロナ禍による活動の自粛が影響しているのかもしれません。
しかし、終活に対する人々の意識が変わりつつあることを表しています。
出典:株式会社ハルメクホールディングス「終活に関する意識調査」
「終活が当たり前」の社会に変わりつつある
終活を意識する人の割合は、本当に減っているのでしょうか?
例えば、終活の代表的な存在である、エンディングノート。
今の時代、10代、20代の若い人でさえ、エンディングノートの意味を知っています。それほど、エンディングノートの存在は広く認識されるようになっています。
終活という考え方を知ることで、還暦(60歳)を迎える年齢の人だけでなく、30代、40代の人たちまでも、自分の老後、自分が亡くなった後のことについて考えるようになりました。
つまり、エンディングノートや生前整理といった終活の活動が当たり前となった現在、終活は忘れ去られたのではなく、もはや当たり前の存在になり、わざわざ意識することがなくなった。
というのが、正しい解釈なのではないでしょうか。
では、終活がこれほどまでに広く社会に浸透したのはなぜでしょう?
終活が流行ったのはブームやSNSの影響が大きかったと考えられますが、果たしてそれだけでしょうか?
一時的な流行なら、10年後には忘れ去られているはずです。しかし、終活は忘れら去られるどころか、社会全体に広く浸透し、今は、当たり前の存在になっています。
終活が社会に深く浸透した背景にある「タブー」
終活を多くの人が受け入れ、「終活」という言葉が当たり前のものとして広がっていった背景には、日本の社会にある時期から存在する「タブー」の影響があるかもしれません。
それは、「死についてのタブー」です。
一定の年齢以上の方は、思い当たることがあるのではないでしょうか?
ほんの少し前まで、日本の社会では、死について語ること、死を意識することはタブーであるとされていました。
高齢の親族が亡くなった場合を想定することや、心構えをすること、いざという時に備えることは「罰当たり」なことでしたし、急な事態に備えて喪服を用意することさえ「罰当たり」と言われたものです。
しかし、お葬式で喪服を用意していないなんていうことは「あり得ない」わけですから、喪服ではなくブラックフォーマルという言い方をしたり、曖昧な表現をする必要がありました。要は、誰にも知られないようにこっそりと、しかし完璧な喪服や葬儀の準備をしなければならなかったわけです。
葬儀や相続、さまざまな手続きについて何も知らされず、何の準備もなく高齢の親が亡くなれば、後に残される親族は、怒涛の対応に追われます。どこかに隠された預金通帳を探して家中をひっくり返すというのも、ありふれた話でした。悲しみに浸る暇などありません。
そうなることがわかっていても、それこそ、亡くなる直前まで、「死」についてまるで気づいていないようなふりをしなければなりませんでした。そういう社会の風潮があったのです。
しかし、「終活」の登場で、多くの人が「死についてのタブー」から解放されました。
そして、終活はあっという間に日本の社会に広がり、深く浸透していったわけです。
つまり、みんなが必死で隠さなければならなかった「死についての意識」が、ようやく日の当たる場所に出てきた。
そのきっかけを作ったのが、「終活」という言葉だったと言えるのではないでしょうか。
死は誰にも平等に訪れる
「終活」という言葉には、さまざまなジャンル、活動が含まれます。
終活の中には、とても広い世界が広がっていて、そこで何をするか、何を目的にどのような作業をするかは、人それぞれ。
一人ひとりそれぞれの、終活があるのです。
そして、その一方で、終活の活動はすべて「死」につながっています。
「死」を意識して行うすべての活動が、「終活」なのです。
誰がいつ、どんな終活をするかは、自由です。終活をするもしないも、自由です。
世界中の誰一人にとっても、終活は平等で自由です。
なぜなら、「死」は誰にも平等に訪れるのですから。
終活で迷う必要はない
・今の時代、終活をやる人はあまりいないのではないか?
・終活ではどんなことをすべきか?
・こんなことを、終活でやってもいいのだろうか?
・他の人はどのような終活をしているのだろう?
そんなことを考えて、迷ったり、悩んだりする必要はありません。
終活に関する行動は幅広く、さまざまなジャンルを含んでいます。
終活では、今自分がやりたい、気になることをやればOKです。
もし、終活で何をすればよいかわからないなら、ネットや雑誌、本、テレビで紹介されているさまざまな終活の中から、気に入ったものを選びましょう!
あなたがやりたいと思えば、それがあなたにとっての終活です。他の誰のためのものでもありません。